流れ

イメージ 1

琵琶湖からの水の流れは 瀬田川と呼ばれます
その瀬田川は 京都で宇治川と名を変え 桂川や木津川と合流して淀川となります

淀川は大阪市内で分流 大川 堂島川 安治川と名を変えながら
琵琶湖からの約二日間の水の旅の最終 大阪湾にたどり着きます




ご覧いただいておりますのは *尻無川
琵琶湖からの水の旅が大阪湾を目前に 終わりをつげるための最終の川です

この 尻無川は大阪ドームの近く
私は大阪市内にこのような風情ある下町があることは知りませんでした

ブログ投稿を控えております最近の私は殆んど写真を撮っておりませんが
撮るならばスマホではなくカメラでの夜景を と太陽が沈んでから再び戻りますと
辺りは 灯のない深く暗い闇 致し方なく別の日の夕方に戻りなおしました




尻無と名の付く川は 北は北海道から南は九州まで いくつかあるようです
尻無川の名前の由来を大阪市大正区役所におたずねいたしますと
あくまで一般論ですが と前置きされて
川の下流が狭まっている川を 尻無川と呼ぶようです と話されました

また このあたりに長くお住いの方にお聞きいたしますと
その昔 **約400年あまり前の尻無川あたりは
今の大阪ミナミの道頓堀や心斎橋界隈以上の繁華街で
川の両岸の桜や 秋の紅葉に お召し物の裾を地に長く引くよそおいで集まり遊ぶ
優雅な人々であふれ賑わった所

多くの芝居小屋や 遊郭 更に仕出し屋等がこの地に立ち並び
その名残は 今も松島あたりに残されているとのお話です

御座船(ござぶね)と呼ばれる美しく豪華な屋形船のようなお船も行き来したとのことで
御座船の船体は人目を惹く 赤のうるし塗りや 金貼りなど
細工の贅を尽くした数多くの金や銅などの装飾品が御座船の屋根や船内に飾り付けられ
ここ尻無川から現在の北浜あたりまで ゆらゆら上り下りしたとも話されました

大阪の尻無川の御座船は「***川御座船」と呼ばれ
公家や将軍 大名たち所有の川御座船は殆どが二階建て そして屋根付き
船はときに 優雅な川遊覧の雰囲気を と望む庶民たちに貸し出されたとか






*尻無川は
大川 堂島川 安治川 等と同じ一級河川
現在 非常時用の水門が設置されています
シジミがたくさん獲れたそうです

**約400年あまりの昔は
江戸時代になりますでしょうか

***川御座船に対して 海御座船もあり
その海御座船が何を目的に どこまで航海したかは私にはよくわかりませんけれど
それらは大型の御座船であったと想像できます




上にご覧は2016年12月の夕暮れ時の尻無川の両岸もようで
今も操業されておられるのでしょうか 写真右側は 多くの小さな町工場地帯
左側はマンションも見受けられますが低い屋根々が連なる住宅地帯
写真向こうが陽の沈む大阪湾になります