アインシュタイン先生からの弔文

  
私の母の実家にはアインシュタインの墓碑銘があります。
日本に来られる時、船中で体調を崩したアインシュタインを治した医師が
三宅速医師で、その方は岡山空襲でご夫婦ともに亡くなられました。
九州大学の外科部長を退官され疎開中でした。
菩提寺が母の実家です。

このご夫婦の死を痛み、戦争の愚かさとご夫婦への哀切に溢れた言葉が刻まれています。昭和29年の建立で、日本中の物理学者が集まったそうです。
私は母と一緒に濡れ縁から祖父の読経を聞いていました。
アインシュタインからの墓碑銘と云う著書が話題になりNHKラジオ深夜便でも
取り上げられました。
アインシュタインはこよなく日本を日本人を愛した人でした。
2019/4/23(火) 午前 10:33[ 剣の迷子 ]





みなさま
剣の迷子さまから興味深いコメントを頂戴いたしました
ありがとうございます
もう少し知りたく NHKに問い合わせましたが関連の資料がみつからないとのことで
美馬市教育委員会におたずねいたしました

先の大戦後 三宅ご夫妻の空爆死を知らされたアインシュタイン先生は
ドイツ語と英語による丁重な弔文を三宅家に送りドイツ語弔文の一部は昭和29年
三宅ご夫妻の墓碑建立時 碑文となるよう手書きドイツ語弔文の写しをとって
石碑に彫られているとのことで その碑は三宅速さまの故郷 徳島の光泉寺にあります

教育委員会のお話しでは三宅家のお墓はドイツ語による石碑の奥にあり
ドイツ語石碑の横には日本語の訳文説明板が立てられていると話されています
その訳文説明板に書かれた日本語弔文を読んでいただき私は書きとりました



【ここには 三宅博士と みほ夫人が眠っている
ふたりはともに人の世のしあわせのために働き
そして世の恐ろしい迷いの犠牲となってともに亡くなった】

アルベルト アインシュタイン





剣の迷子さま
ご貴重なコメントに大きな感謝
厚くおん礼を申しあげます
人と人のつながりは不思議ですね