宮廷料理の流れを汲む 西陣魚新さん

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ごらんの写真は 日本料理文化博覧会で 西陣魚新さんがご披露されたお料理の一部です
西陣魚新さんは昔 *御所や宮殿でのお祝のお料理全般をつかさどられた老舗の料亭
今も盛りつけや器に 当時のお料理の名残を残されておられます


これら宮廷料理は 有職料理(ゆうそくりょうり)と呼ばれますようで
御所でのお祝いのお料理 そして宮中儀式のときのお料理
身を清めての包丁さばき 料理人がまとう衣装所作にも厳しい定めがございましたようで
西陣魚新さんはそれらを踏まえ 宮廷料理の雅を今のお料理に受け継いでおられます


西陣織などを私たちは単に 西陣とよびますけれど
地名の西陣
昔 西軍がこの地で陣をはられたことに由来しているとのこと
西陣魚新さんの料亭のお庭や調度品 そして街にも陣屋の名残が多くみられます








以下は西陣魚新さんから私達へのメセジです
原文のままです

有職(ゆうそく) とは諸事万端 宮中の仕来りに則って執り行うことをいいます
安政二年創業の当家も御所の大礼御使用として響膳に奉仕する栄誉にあずかり
以来 有職司としての伝統を今日まで伝えてまいりました

**宗全ゆかりの西陣弁当をはじめとした当家自慢の京料理の中に
こうした京の歴史と文化をあわせてご賞味いただければ幸いです

もとは 鵜川の流路であったといわれるこの辺りは
茶道三千家をはじめ 名水が数多く点在しています
当家に伝わる名水井戸の一つは 藤原定家がお茶に使ったともいわれています




*御所と宮殿
御所は 天皇ご一家様のお住まい
宮殿は お仕事をなさるところ 公けの行事が執りおこなわれるところ

**宗全
西陣の地に陣を置いた西軍の総大将
のちに出家して茶人となる








皆様 私のお話長くなりまして申し訳なく存じますけれど
写真一番上の 西陣魚新 と書かれた木の店札について もう少し知りたく思い
直接 西陣魚新さんにご連絡させていただきました
写真では出せませんでしたけれど木片の端々はすり減ったようになっています

大女将が私のために長時間お時間をおさきくださいました
お料理と一緒に展示されました木製の店札 写真一番上は多分安政のころのもの
文字は書き直されたようですけれど店札は
西陣魚新とともに時代を駆け抜けてきた大事な証しとのことです

せやけんどね と 料亭西陣魚新さんの大女将はお話し続けられました
私らは昔 有職司ということもありお店の宣伝は控えてきました
今はお店の宣伝は せなあかん と思うても それがなかなか
昔から来てくらはるお客さんだけを大事に お店を続けてきましたん

外で修行させた二人の息子が 今は店を継いでくれておりましてな
それにまた 孫もこの道にはいるようになりましたけんど
お料理を文化と思うたはる あんさんのようなかたにはぜひ来てもらいたいです
(あんさんは私のこと ですけれどかいかぶり過ぎです)

食べんかてお庭をみるだけでもよろしおますよってな
(私のお財布をご心配されたご様子ですけれど うふふ 財産はたいても伺います)

お話の途中から私は あんさん になりました
私らお店の庭には藤原定家さんが使うとりました井戸がおます
隣の郵便局が20年ほど前 地下に駐車場を掘らはりましてな
それからですわ
水が出えへんようになってしもて

井戸の水は名水
近年 井戸の水は打ち水に使うてまんねんけど 水の出ない井戸はさみしおます
息子が井戸の脇を掘れば水は出ると最近言うて
そのうち 井戸のわきを掘って水を出るようにするかもしれまへん

大阪の懐石の盛りつけと京都の懐石の盛りつけの違いのお話や
お出しのお話にもなりまして楽しい時間になりました




そして最後に 大女将は私に尋ねました
博覧会に出させてもろた料理は 朝 はよ~らに息子たちがこしらえましてな
そろりそろりと会場に運び そこで私が盛りつけを直しました

あんさんが私らの料理を見やはったとき
お料理はあんじょ でしたか

私はお答えいたしました
はい あんじょうでとてもきれい 美味しそうでした
市内の紅葉はまだでしたけれど元気な京都の大きなハエが
美味しそうな匂いに誘われたように飛来してお料理の上を旋回していましたよ
(これ本当のことです どこから来たのでしょう)

鵜川のほとりの 西陣魚新さんです