消えたまぼろしの 天王寺蕪

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ご覧いただいておりますのは甘鯛蕪碗です
お碗の中 手前はなにわの伝統蕪 消えたといわれるまぼろし天王寺蕪
肉質はやわらか 深みある甘みのお味濃い蕪です


この天王寺蕪の歴史は古く 江戸時代初期から300年もの間
大阪の天王寺村の特産品として栽培されておりましたようです
けれども明治30年ごろ害虫が大発生
害虫駆除確立のないその時代 天王寺蕪は一気に消えてしまいます


加えて第二次大戦後の高度成長期  なにわは工業化や都市化等で畑の地は消え
畑の地にはビルや中層高層の住宅等が建ち並び ついでお野菜も見ることはなくなります
その後 長い間なにわが培い続けた大地の力は復活することはなく
天王寺蕪は絶えたと思われていました


途絶えましたのは天王寺蕪だけではございません
いくつかのお野菜も なにわから消えてなくなりました
新しいことをとり入れることが好きな なにわの進取の気性が多分災いしたのでしょう
都市化と引き換えに伝統を見ることはなくなりました


なくなりまして初めて
人は昔のなにわのお野菜が持つ そして今のお野菜には殆どない
えぐみや苦味の良さを思いおこされたのでしょう


なにわの農を憂える農家の心ある人達は 自身の庭先等で細々と昔野菜の栽培を続けます
それを伝え聞かれましたなにわを代表する料理人や学者や大阪市農業試験場などが
現在の大阪我孫子(あびこ)あたりで栽培を続けてこられた農家から種をもらい 種作り
その種を持って 農家1軒1軒をまわります
当初農家を回られた人たちは10人にも満たなかったようです


「この種で天王寺蕪を作ってもらわれへんやろか」
数年前とのことです


現在 天王寺蕪の会などが 消えてしまいました伝統野菜の普及に取り組んでおられ
復活の兆しも見えるそうですけれど それは緒に就いたばかり
先日 大阪の百貨店で数本の天王寺蕪と書かれた蕪を見かけるまでになりましたけれど
京野菜が占める広い場所の片すみに置かれたなにわ野菜に市民権があるとは思えません


今 旨みが増す冬のお野菜 天王寺蕪
料理人達も料理の場で積極的に なにわ野菜をお料理にとり入れはじめておられるようです


現在 天王寺蕪は「なにわの伝統野菜」に認定されています
なにわの伝統野菜は 17世紀以降のなにわのお野菜とされています





天王寺蕪の種が昔 信州に運ばれ今の野沢菜になりましたお話しがございますけれど
先年 天王寺蕪 野沢菜の両DNAの違いが発表されました
けれども 夢で成り立つ昔話
信州の方々が 野沢菜のルーツは天王寺蕪とのお話しでもかまわないとなさる限り
天王寺蕪 野沢菜の昔話しはDNAに拘わらず そのまま残されていいのではないでしょうか





以前もここで書かせていただきましたけれど
お碗は 料理長やお店の格を知るに大切なひと品で決して手抜きはなさらないと思います
今回 お碗をテーブルにお持ちいただきましたときのお店側の一言は
天王寺蕪を使いましたお碗でございます」


甘鯛蕪椀でございますのに 蕪のみへの言及は
言外に
料理長やお店が持つ天王寺蕪への特別な想いを客に伝えたかったのでございましょう


ご覧いただいております まぼろし天王寺蕪を使いました 甘鯛蕪碗
お出しは 蕪の甘味を前面に と希う控えめなお出しです