意地と誇りの 淀屋橋

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去年12月1日から今月1月19日まで 御堂筋沿道を華やかな輝きで彩る
大阪光の饗宴 御堂筋イルミネーションの起点は淀屋橋

ご覧いただいておりますのは 淀川の支流土佐堀川に架かる淀屋橋船着き場
この橋からミナミの新橋交差点までの1.9劼御堂筋イルミネーションの舞台です

プログラムではその1.9劼4つのブロックに分けまして
ピンク イエロ ホワイト ブルー とそれぞれ異なる灯りで街を包んで見せています




大阪にはもともとお上を頼らない気風がございまして
この淀屋橋もなにわのお商売人 淀屋さんが江戸時代自費で架設されたものです
淀川の反乱で何度か橋は架け替えられましたけれど 淀屋さんの名前は残されています


初代淀屋さんと二代目淀屋さんの屋敷は現在の大阪心斎橋から西区肥後橋までもの一万坪
付属する土地は二万坪で計約三万坪


淀屋橋は淀屋屋敷の前に架けられ 淀屋さんは持てる財力で川の改修や
中の島の開発整備など 現在の大阪経済の基礎を作り上げたといわれています
淀屋さんは川から海への航路をも開き お船の行き来で大阪は天下の台所となり
交易の拠点となっていきます


その当時 参勤交代などで手元資金に困っておられた諸大名は淀屋さんから金策
その額は現在の金額に換算致しますと120兆円にものぼったとされています


けれども五代目淀屋さんのとき 突如淀屋さんが持つすべての商いの免許は取り上げられ
財産すべて没収 加えて淀屋さんは大阪からは ところ払いに
理由は淀屋さんが町人らしからぬ贅沢をしたから とのことのようですけれどそれは表向きで
諸大名救済のため 大名たちの借入金を消滅させてしまう計画があったのではないかとの
見方も今に根強いようです


もともと淀屋さんは大阪の発展のため質素に暮らしていたことを知る人々は
淀屋さんの処分には同情的で
近松門左衛門さんは この処分を題材に浄瑠璃 淀鯉出世滝徳を発表して人気となります
そして 淀屋さんは人生の最後 処分を決めた幕府へ大阪商人の意地と誇りを見せます


淀屋一族が見せたその意地と誇りでございますけれど


四代目淀屋さんは財産没収や ところ払い事件の前に 幕府の動きを察知
主家である淀屋を絶やさない そしていずれの日か大阪に戻るとの約束で
淀屋さんの一番番頭にのれん分けをしておきます


番頭さんは幕府の仕打ちへの怒りを胸に深く秘め五代目淀屋さんから娘さんを預かり
五代目淀屋さんと共に大阪を去りますけれど 約束通り再び大阪に戻ります
そして ところ払いから約六十年後 二代目番頭さんは淀屋を名乗ります


淀屋を名乗ることになりました番頭さんは 大阪で財をなし 淀屋再興を果たします
けれども幕府の理不尽な仕打ちに怒りを持ち続ける淀屋さんは幕末におこる討幕運動に参加
彼は 彼が持てるすべての財産を処分して討幕の朝廷に献上
心に秘め続けた幕府への恨みを果たすのです


お商売人にとりまして財は武器のひとつ
思いますに
淀屋さん一族は武器である財すべてで
お商売人 特に大阪商人の意地と誇りの一太刀をみせたのではないでしょうか
損得なしの すがすがしいともいえる 彼らの生き方が淀屋橋界隈にあるのです





ともあれ淀屋橋と その橋の下を流れる水は
淀屋さんの栄光と凋落 そして終焉の歴史すべてを見つめてきたと思います


現在 淀屋さんの存在を示す 小さな碑が淀屋橋脇に残されておりますけれど
お商売人とて淀屋橋界隈は淀屋さんにとりまして戦いの場
碑は残されても 淀屋一族の嘆き 無念さは計り知れない大きさでございましたでしょう


淀屋橋は現在国の重要文化財
今も夜遅くまで途切れることなく人々が行き交う大阪businessの中心地です


そして ご覧いただいておりますのは
淀屋橋から淀屋橋船着き場へと降りる夜景です
ご覧のお船で水都大阪遊覧へのお出かけが出来ます


淀屋橋のお話しは
複数書店の店主から伺いました
史実に基づく淀屋物語のようです