夜景写真の修業中  難波の浦  難波の里

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皆様 お正月に お詣りにいらっしゃいましたでしょうね
お詣りがまず第一でございますのに私は雑用ばかりで いまだにまだなのです


大阪ミナミの法善寺横丁へ参りました
ご存じの 夫婦善哉(めおとぜんざい)の所です
小さい処なのです


ここへは何度と申しますより 何度以上も来ておりますのに
ご覧の写真の 「一寸法師大明神」 をお祀りする神社(やしろ) に初めて出会いました


2人の人が 行きかうことも難しい細い道 ――★
神社(やしろ) はきれいに管理され 心ないイタズラ等からは守られております


私のお仕事先に 大阪雑学博士のようなお方がおられ 何でもお教えくださいます
くい倒れご専門にお見受けいたしますけれど ――☆
一寸法師大明神様のことをお尋ねいたしました
数日後 面白いお話をお聞きすることが出来ました



昔々 現在の大阪ミナミ 道頓堀 法善寺横丁のあたりの里に 
子供が出来ない41才と40才の夫婦がおり 住吉大社にお詣りして子供が欲しいと祈ります

すると40才の妻に赤ちゃんが生まれました
けれども生まれた赤ちゃんは3僂靴なく 両親は一生懸命12,3才になるまで育てるも
一向に大きくなりません

夫婦はその子に 一寸法師と名付けます

ある日 一寸法師は武士になりたいと考えます
武士になるには 刀が必要と考え針を一本もらいます

京の都へのぼるには お船が要ります
お椀と箸をもらい お椀に乗り 難波の浦 現在の道頓堀川あたりから漕ぎだします

お箸を櫂にして都を目指し現在の鳥羽 三重県の 「津」 あたりに着きます

都で大きなお家を見つけ働き始めるのです

16才の時 13才の同家のお嬢さんのお宮参りにお供するも 途中2人の鬼が現れ 叫びます
小さい奴は呑んでしまえ !  娘をさらおう !  
一寸法師は呑まれてしまいます

一寸法師は鬼のおなかの中で暴れ あちこちを針で刺し鬼の目から飛び出します
鬼は痛くてたまらず 持っていた 「打ち出の小槌」 を打ち捨てて暗闇へ逃げます

一寸法師は 打ち出の小槌で自身を180センチ以上の美しい男性にします
京の帝に気に入られ高い官位につきます

一寸法師はそのお嬢さんと結ばれ3人の子供をもうけ 両親を呼び寄せ
めでたく栄えた のです





一寸法師と両親が住んでいた 難波の里は現在の大阪ミナミ
お椀で漕ぎだした 難波の浦 は現在の道頓堀川


ご覧の写真の一寸法師大明神様を祀る鎮守の神社(やしろ)
「浮世小路」 巾1,2m 長さ48mの路地から
道頓堀川 難波の浦や 道頓堀 大阪ミナミ 難波の里をお守りです

 
一寸法師の発祥が道頓堀あたりと考える大阪人が 写真の神社(やしろ) を2004年に
建立致しましたようです


一寸法師のオハナシでございます
私は一寸法師という人がいて お椀に乗って旅をした★これ位しか知りませんでした


お忙しい皆様 そしてこのお話をよくご存じの皆様 
私のオシャベリ 長くなりまして申し訳ないです